【久米寺】
「聖徳太子霊跡」第32番。いわゆる「久米仙人」伝説で有名ですが、太子の弟である来目皇子は眼病により失明しましたが、太子のすすめで薬師如来に祈願したところ、目が回復した―や、太子や摂政として仕えた推古天皇の眼病が全快した―など、ご本尊の薬師如来は眼病に霊験あらたかと信仰されています。
〒634-0063 奈良県橿原市久米町502
【信貴山朝護孫子寺】
「聖徳太子霊跡」第20番。物部守屋と対立していた太子が当地を訪れた際、寅の日・寅の刻に毘沙門天王を感得して、必勝の秘法を授かり、守屋に勝利しました。太子は当地を、信ずべき貴ぶべき山「信貴山」と名づけ、これが開山の諸とされています。境内には聖徳太子像が建てられています。
〒636-0923 奈良県平群町信貴山2280-1
【飽波神社】
聖徳太子が祇園精舎の守護神・牛頭天王を祀る祠を建てたことが始まりとされる飽波神社。太子も歩いたという、飛鳥と斑鳩を結ぶ「太子道」沿いにあります。境内には太子が腰掛けたと伝承される腰掛石が残っています。
〒639-1061 奈良県安堵町東安堵1379
【橘寺】
「聖徳太子霊跡」第8番。太子が誕生し(すなわち厩戸があった)、幼少期を過ごしたとされるエリアにあります。本堂のご本尊は聖徳太子坐像(太子35歳)。太子建立の七大寺のひとつで、「たちばな」の名は不老不死の果実として植えられたタチバナ(柑橘類)にちなみます。
〒634-0142 奈良県明日香村橘532
【達磨寺】
「聖徳太子霊跡」第19番。あるとき太子が道で苦しげに伏せる人を見つけ、食べ物や飲み物、衣服を与えて助けました。しかしその人は亡くなってしまい、太子は悲しんで墓をつくって葬りましたが、数日後、埋葬したはずの遺体が消えてなくなっていました。…と『日本書紀』にあります。太子に助けられた人は、後に達磨大師の化身だったと考えられるようになり、この地に達磨寺が建てられました。境内には太子の愛犬・雪丸の像があります。
〒636-0012 奈良県王寺町本町2丁目1-40
【世尊寺】
「聖徳太子霊跡」第7番。古くは比蘇寺と呼ばれ、大規模な伽藍を誇りましたが、江戸時代に縮小されました。境内にある太子堂は、太子が父である用明天皇の病気平癒を祈った故事にちなむ「聖徳太子十六歳孝養像」をご本尊としています。
〒639-3128 奈良県大淀町比曽762
詳細ページにリンク
◎お寺・神社まとめ