やがて天智天皇が崩御。大友皇子は「叔父を生かしておいてはならぬ」と考え、吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたりしました。この動きを察知した大海人皇子は「このままでは…」と挙兵を決断。両軍一進一退の後、大海人皇子軍が優勢となり、勝利。大海人皇子は天武天皇として即位しました。
2022年、壬申の乱から1350年が経ちました。奈良に伝わる「壬申の乱」スポットを巡り、シリーズで紹介していきます。
⑫村屋神社・中ツ道(田原本町)
大伴吹負に「中ツ道を防げ」と神託した村屋神
村屋神社は、三穂津姫命(みほつひめのみこと)と大物主命(おおものぬしのみこと)を祭神とする古社で、「縁結び」「家内安全」の神として信仰を集めています。正式には「村屋坐弥冨都比売神社」と書かれ、大和三道の一つ「中ツ道」に面して鎮座し、通称、村屋社、または森屋の宮ともいわれています。
『日本書紀』によると、672年、壬申の乱の際、村屋神が神主にのりうつり、大海人皇子方の将軍・大伴吹負(おおとものふけい)に「わが杜の中を敵が来る。社の中ツ道を防げ」と助言があったといいます。
中ツ道は、飛鳥から香久山と耳成山の間を通り、奈良市の中央部付近に至る道。吹負は、他の幹線道「上ツ道」「下ツ道」は配下の部隊に守らせ、自らは村屋神のお告げの通りに「中ツ道」の警護にあたりました。
この事前の警備体制が効いたのでしょう。吹負は敵軍を堂々と迎え撃ち、敗走させました。同じ頃、上ツ道でも吹負の軍勢が勝利。以後、近江軍は大和に攻め込んでこなくなったといいます。村屋神社は、このときの功績から、神社として初めて天皇(天武天皇)から位を賜ったということです。
このエピソードは、同じく神託のあった河俣神社(本シリーズ記事③)と類似していて、河俣神社も壬申の乱後、天武天皇(大海人皇子)から神位が授けられています。
現在、村屋神社の東を流れる大和川沿いは、随所に「しきのみち はせがわ展望公園」が整備されていて、川沿いに咲く桜の季節を中心に、格好の散策の場になっています。
「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ③ 河俣神社(橿原市)
「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑪ 飛鳥の戦(明日香村)
「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑬ 高安城・衛我河の戦(平群町)
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☆観光スポット
施設名 | 「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑫ 村屋神社・中ツ道(田原本町) |
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住所 |
〒636-0234 奈良県田原本町藏堂423
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公式サイト | http://murayajinja.com/ |
駐車場 | あり(村屋神社前に数台) |