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「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ② 「天皇淵」(吉野町)

「壬申の乱」は672年に勃発した古代日本最大の戦乱です。奈良・飛鳥から滋賀・大津に遷都した天智天皇(当時は「大君」)の後継の大君に同母弟の大海人皇子が有力視されていましたが、天智天皇は息子の大友皇子を後継にしようと太政大臣に任命しました。大海人皇子は“兄にとって大友皇子を大君にするには、私が一番の障壁だ”と身の危険を感じて、奈良吉野に移り住みました。
やがて天智天皇が崩御。大友皇子は「叔父を生かしておいてはならぬ」と考え、吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたりしました。この動きを察知した大海人皇子は「このままでは…」と挙兵を決断。両軍一進一退の後、大海人皇子軍が優勢となり、勝利。大海人皇子は天武天皇として即位しました。
2022年、壬申の乱から1350年が経ちました。奈良に伝わる「壬申の乱」スポットを巡り、シリーズで紹介していきます。

②「天皇淵」(吉野町)

 

空の青と山の緑を混ぜて、さらに鮮やかにしたような神秘的な色の淵

 

大海人皇子が大津から移り住んだ「吉野宮」と考えられている「宮滝遺跡」(宮滝遺跡の詳細はこちら)から、さらに吉野川をさかのぼり(車で約10分)、しばらく直線的だった吉野川が大きく左に流れを変えるところに、両岸を急峻な岩壁に挟まれた深い淵があります。

 

右岸の崖上に浄見原神社に通じる参道があり、足元に気をつけながら歩いていくと、「天皇淵」を見渡せるポイントに到着。設置されている説明看板には、「大海人皇子(天武天皇)がこの地に数日間、お住まいになられたと伝えられています。」と書かれています。

 

天皇淵は、青空より青く、山の木々より濃緑で、ヒスイのような神秘的な色に見えます。左手には、天女が衣を掛けたと伝わる衣笠山、右手には大海人皇子が通ったとされる「うれし峠」があります。

 

看板にある「この地」が、吉野宮なのか、文字通り、天皇淵近辺なのか、判然としませんが、近江朝廷の捜索の手を逃れるためならば、大海人皇子たちはきっと吉野の山のあちこちを移動しつつ身を隠していたのではないでしょうか。実際、吉野には大海人皇子がここにいた、ここにも来たなどという伝説・伝承がいくつも語り継がれています。

 

参道の先の浄見原神社も、壬申の乱ゆかりのスポットです。そこへ脚が急ぐ気持ちもわかりますが、しばし崖下の景勝に目をとめ、ここに隠れ住んだ大海人皇子の思いに想像をめぐらせてみてください。

 

「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ① 「宮滝遺跡」(吉野町)

「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ③ 河俣神社(橿原市)


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