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『大和名所図会』今昔めぐり 33 宮滝(巻之六)(関連スポット:宮滝遺跡)

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

33.宮滝(巻之六)(関連スポット:宮滝遺跡)

 

平安時代以降、「吉野」と言えば、「吉野山」を指すようになったようですが、それ以前、飛鳥時代は吉野川上流の宮滝周辺を指したそうです。そこは緑深く水清い神仙境でした。『日本書紀』には応神天皇がここに離宮を設け、壬申の乱に勝利して即位した天武天皇や皇后のち持統天皇らも吉野へ御幸を行いました。

 

こう書くと、神聖な場所のイメージが付きますが、大和名所図会の挿図をご覧ください。

 

ふんどし姿で岩場から飛び込んでいるのは、夏休みの子どもたち…ではなく、おじさん方ではありませんか(青年かもしれませんが)。
飛び込んで向こう岸へ泳いでいく人、飛び込んだ直後で逆立ち状態になっている人、おどけたポーズで宙に飛び出した人、後ろ宙返りで飛び込もうとしている人、人生を振り返りながら飛び込もうかな・やめとこうかな・ワシ泳げないし…と考え込んでいるように見える人。

 

とにかく川遊びに夢中な男たちがいきいきと描かれています。そして、彼らを眺め、おだてて、楽しむ人たち。ここに神仙境の神聖さはありません。

 

挿図の上には、貝原益軒『和州巡覧記』から、「宮滝は滝にあらず。両方に大岩あり。その間を吉野川ながるるなり。」「岩の高さは五間(約9m)ばかり。屏風を立てたるごとし。」「里人岩飛とて、岸の上より水底へ飛び入りて、川下におよぎ出でて人に見せ銭をとるなり。」などと引用されています。

 

現代の飛び込み競技のように大技を競っているのは、遊びではなく、挿図にも描かれている見物人を楽しませてお代を徴収する見世物であったようです。ちゃっかりしています。大和名所図会の本文に「善く水練なる者、石頭より水中に投げて、流に随うて下流に出づ。これを飛瀧といふ。」と書かれているのは、このことです。

 

清澄な川で遊ぶ爽快感は江戸時代も令和時代も変わりません。ただし、現在の宮滝では、絶対に絵のマネをしてはいけません。飛び込み禁止です。絶対にダメです。

 

代わりに、西行の歌を捧げます。
「瀬をはやみ宮瀧川を渡り行けば心の底のすむ心地する」

 

大和名所図会本文に「清麗」と紹介された宮滝を眺めて、心の底が澄む体験をしてみてください。

 

古代の天皇の離宮として造営された「宮滝遺跡」の詳細ページはこちらです。
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