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『大和名所図会』今昔めぐり 28 益田岩船

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

28.益田岩船(巻之五)(関連スポット:益田岩船)

 

明らかに人の手が入った岩の造形物ですが、いったい誰がなんのために作ったのか、今もって謎のまま。大きさとこうした謎が、益田岩船の魅力でしょう。

 

益田岩船は、橿原市の貝吹山の東に堂々と座する花崗岩の巨岩です。サイズは、東西に約11m、南北に約8m、高さは約4.7mあり、重さは推定800トンともされています。上辺にはきれいに切り抜かれた四角い穴が空いています。

 

人工物であることは間違いなさそうですが、由来・詳細は不明です。その謎に答えるように3つの説がささやかれています。

①弘法大師による巨大な石碑の台石
②星占いをする台座
③横口式石槨(せっかく)を建造しようとして途中で放棄

 

大和名所図会の本文には、「益田池」と項目が設けられ、「〔大和志〕に曰く、弘仁四年ほる。其址北は池尻を限り、南は檜隈におよぶ。三瀬村の西南の丘の上に碑の趺石あり。俗に岩船といふ。」とあり、さらに、「むかしの池の岸とおぼしき所に、弘法大師の建て給ひし碑の趺石あり。」とも記されています。

かつての益田池の碑の台石であるとして、①説を採用しているようです。
どなたか、謎を解いてくれませんか。

 

こうした巨岩を描く場合、真ん中にドーンと描いてしまいがちです。しかし、大和名所図会の絵師・竹原春朝斎は、主役を左側だけに収めて、右側スペースを巧みに生かしています。益田岩船から見下ろす集落や坂道を登って来る人物も配し、岩船のスケール感を地形的、視覚的に教えてくれています。

 

岩船にとりついた人々は、その巨大さを測っているように見えます。肩車をして棒を伸ばし、上からも棒を伸ばし、それでも届きません。仮に肩車された人の高さを2.5m、棒を1.5mとすると、実際の高さが約4.7mなので十分届くはずですが…。人を小さくすることで、岩船の大きさが強調されています。

3人が両手を広げて面は、一人一尋(両手を広げた長さ)を1.5mとすると、おおむね実寸(約8m)に合いそうです。

 

時は移って現在。益田岩船を前にすると、やはり、よじ登りたくなります。

 

益田岩船の詳細情報はコチラです。
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