【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)
27.栖軽逐雷(巻之五)(関連スポット:雷丘)
ゴロゴロ、ピカッ、ズドン。黒い空に稲妻を走らせ、天地を震わせ、時に地上を襲うカミナリ。いつから言われ始めたのかわかりませんが、怖いものを順にあげると、地震の次、2番目に怖いとされるのがカミナリです。そのカミナリが題材になった挿図です。
右上に「栖軽(すがる)といふ人、(雄略天皇の)勅命を受けて雷をとらえんと~」とあり、栖軽という名の豪傑が雷神を捕まえようと、進行方向から突き刺してくる強雨のなか、馬にまたがって雷雲に立ち向かっていくシーンが描かれています。勇猛果敢ですが、雷を追うのに金属製の太刀を持っていては…と心配させられるシーンです。
現在の明日香村には雷(いかづち)という字(あざ)があります。信号のある交差点の北西角にこんもりとした丘があり、雷丘と呼ばれています。
『大和名所図会』の本文に目を転じれば、雷丘は「雷土村(いかづちむら)にあり」と記されています。当時、その名も!と言いたくなる村名があったようです。本文では『日本霊異記』を引用していて、栖軽は雄略天皇の「肺腑の臣なれば、帝に近く随身し」た人物だったようで、帝と后が大安殿にいるとき雷が天に走り、帝から「早く雷神を取りとめてきたれ」と勅命を受けました。馬に飛び乗り、追いかけましたが、なかなか捕まえられません。それでも栖軽は「虚空をにらまえて」追走。「雷終(つい)に豊浦里と飯岡の間にして落ちたりけり」。この時雷神が落ちたところが「今の雷丘とぞいひける」と記されています。
雷神が落下したのではなく、降臨したとして、雷丘を聖地とする見方もあります。この雷丘、散歩気分で歩いて登ることができます。
ところで、挿図の左上に書かれているのは、江戸時代の気象専門書『天文指南』の一節で、「雷は陽気にして火に属す。春夏は地気上り(略)地を照らして熱をなす時は雷あり」などと、雷が発生する仕組みを解説しているようです。図会のちょっとした記述や挿図のなかからヒントを探りだせば、江戸時代の科学者たちはそんなことまで認識していたのですか!などと驚嘆させられるようなトピックスが、『大和名所図会』にはちりばめられています。
雷丘の詳細情報はコチラです。
☆観光スポット
施設名 | 『大和名所図会』今昔めぐり 27 栖軽逐雷(巻之五)(関連スポット:雷丘) |
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住所 |
〒634-0108 奈良県明日香村雷138(雷丘)
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営業時間 | 周辺自由 |
駐車場 | なし |