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『大和名所図会』今昔めぐり ⑯凩の立田の紅葉諸共に

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

16.凩の立田の紅葉諸共に(巻之三)(関連スポット:竜田公園)

 

古来、紅葉の名所として名高い龍田川。これを描いた挿図は大和名所図会に2点あります。在原業平の有名な和歌「千早振神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」(古今和歌集/百人一首)が記されている挿図と、もうひとつは、なぜか「信貴山」の挿図を挟んで置かれたこの「凩の立田の紅葉諸共に」です。

 

挿図は、右にある和歌「凩の立田の紅葉もろとにさそへばさそふ秋の川波」の情景を描き出したもので、川岸の木の葉は盛大に色づき、川面には題にあるように凩(こがらし)に散らされたのか、無数の葉がゆらゆらと流れています。これを詠んだ衣笠前内大臣でしょうか、紅葉の木の下で扇をかざして気取った男性がいます。見上げても紅葉、川面を見ても紅葉。これほどの風景、想像しただけでも気取りたくなりますね。

 

その気取りに水を差すようですが、挿図の左上にあるのは「冬がれや大根葉流る龍田川」という和歌。龍田川を流れてくるのは紅葉ではなく、大根の葉っぱ。急に庶民感が増します。実際、紅葉が終わり、本当の冬が来ると、上流では収穫した大根を洗ったり、漬菜にしない葉を切り落としたりしていたのでしょう。鮮やかに染まった季節とは対照的な情景を思い浮かべることができます。

 

挿図に引用されている和歌だけでなく、“龍田川”は古来多くの和歌に詠まれました。『大和名所図会』の本文には、作家・秋里籬島の「愚考」として、「龍田山・龍田川の和歌、二十一代集の内に百二十一首あり。」と記されています。籬島としても、龍田山・龍田川を詠んだ和歌の多さが気になっていたようで、実際にいくつもの和歌集にあたって数えたようです。

 

また、本文に、龍田川は、龍田山の「麓をめぐってながれ、山麗しうして水潔し」と称賛しています。さらに「龍田」という地名についての記述を引くと、むかし、雷神がこの地に落ちて童子となり、ある農夫に育てられました。夏、日照りが続きましたが、この農夫の田にだけ雨が時々注ぎ、秋には豊作を得ました。やがて童子は小龍になって天に帰ったということです。そして「かれが作る田を龍とぞ云ひけるを、やがて所の名とせり。」と解説されています。

 

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