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『大和名所図会』今昔めぐり ⑤神さびて幾代を過ぎぬ故里と

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

5.神さびて幾代を過ぎぬ故里と(巻之一)(関連スポット:明日香村稲渕の棚田)

 

奈良県内のどこか、場所は特定されていませんが、江戸時代の奈良の農村ののどかな風景をとらえたひとコマです。現在も、江戸時代も、奈良(大和)は神々のふるさとだと讃えられています。そのことを詠んだ「神さびていく代をすぎぬ古郷となりにしならのやまのはの月」が左上に添えられています。

 

この歌を詠んだのは、藤原光俊。鎌倉時代の公家・歌人で、『新古今和歌集』の選者のひとりを務めた人物です。父は、承久の乱(1221年、朝廷・後鳥羽上皇が鎌倉幕府・北条義時を討伐せんと挙兵するも敗戦)の責をとって処刑された藤原光親で、光俊自身も筑紫に配流されました。

 

「神さびる」とは、古びていて神々しく見える、荘厳で神秘的であるといった意味ですが、それに対して描かれた農村・田園風景はユーモラスです。木の下で一服する男性の顔面に向かって、するすると垂れてくるクモ。枝に綱をつるし、やかんに湯を沸かす男性。典型的なやかんの姿かたちは、江戸時代も今と同じだったのですね。

 

ござに座っている2人の女性は、2人の男性それぞれの奥様でしょうか。何がおかしいのか、笑っているようです。背景の水田を見る限り、季節は本格的な田植えの前。くつろいだ雰囲気は、農作業に追われておらず、ゆとりがある証拠。そうだとすると、5月頃の風景でしょう。

 

大人たちが和んでいる一方で、ふんどし一丁締めた少年は、何やら重量感のある荷物を天秤棒で運んできます。みんなで食べる昼食なのかもしれません。藤原光俊の歌意とは対照的に、絵師・竹原春朝斎の遊び心が詰まった絵図。ギャップを楽しめる一枚です。

 

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