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義経の隠れ塔(吉野町)

源義経が隠れた塔。追討軍から逃れるために屋根を蹴破って脱出したと伝わります。
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源頼朝と弟の義経は、頼朝が鎌倉幕府を開く以前、平氏を滅ぼした文治元年(1185)秋ごろから険悪な仲になり、義経は頼朝に追われることになりました。

 

義経は吉野山へ落ち延び、追討軍勢が迫る中、吉野山奥千本の金峯神社から左の小道を下ったところにある塔に隠れます。見つけられてしまいましたが、義経は塔の屋根を蹴破って、危機一髪、難を逃れました。

 

義経が隠れ、屋根を蹴破った塔が「義経の隠れ塔」です。

蹴破ったことから「蹴抜の塔(けのけのとう)」とも呼ばれています。

 

現在は、塔と呼ぶより、そびえる巨樹に囲まれた小さなお堂といった風情ですが、平安時代末期には五重塔だったとも伝えられているようです(現存する建物は大正期のもの)。

 

塔がある金峯神社は、ユネスコ世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の登録資産の一部になっています。神社拝殿を正面に見て、右側から延びている山道は修験道の聖地・山上ヶ岳(大峯山)に通じており、義経の隠れ塔は今でも修行場として使われています。

 

なお、義経は追討を断って吉野山を脱出しました。京都を経て奥州まで逃げましたが、現在の岩手県平泉で最期を迎えました。享年31歳でした。

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