日本人にとって最も“身近な古代”といえる奈良時代。華やかな文化が開花し、政界では女性天皇はじめ、現代以上に女性たちが活躍していました。「奈良 モデルコース」シリーズの『奈良時代を彩った女性たち』では歴史に登場する女性たちゆかりのスポットを巡ります。第1弾は東大寺廬舎那仏(大仏)を発願した聖武天皇の妻・光明皇后の足跡をたどります。
所要時間 | 日帰り |
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移動手段 | 徒歩 電車 |
スタート
1 近鉄新大宮駅
近鉄大阪難波駅から快速急行で約37分
徒歩約17分
2 法華寺/光明皇后のやさしさがあふれる境内
聖武天皇が出した国分寺・国分尼寺建立の詔に従い、総国分尼寺として法華寺が創建されました。ご本尊の十一面観音像(国宝、秘仏※春季と秋季に特別御開帳あり)は女性的で柔和な表情をされており、光明皇后がモデルでは?といわれています。光明皇后は病人や貧しい人々のために施薬院、悲田院を設置するなど福祉事業に慈愛を注ぎ、皇后自ら病人らの体を洗い、汗やアカを流したち伝わる浴室(からふろ)が境内に再建されています。
徒歩約6分
3 海龍王寺/光明皇后筆跡の写経が残る
航海・旅の安全に由緒があるお寺。創建時は光明皇后邸の敷地にあった宮内寺院でした。聖武天皇、光明皇后ご夫妻の信仰心篤く、現存の「自在王菩薩経」は光明皇后の写経と伝えられています。ご本尊は法華寺と同じく、十一面観音像。奈良時代の建造物として貴重な五重小塔と西金堂はそれぞれ国宝と重要文化財に指定されています。
徒歩約17分
4 近鉄新大宮駅
電車約3分(近鉄奈良駅)+徒歩約7分
5 興福寺/母への想い
光明皇后の父は興福寺創健者の藤原不比等、母は橘三千代です。734年に皇后が母の冥福を願って建立を発願したのが、興福寺西金堂です。釈迦如来像、薬王・薬上菩薩像、梵天・帝釈天像、十大弟子像、阿修羅像など八部衆像、金剛力士像など、そうそうたる顔ぶれの仏様が安置されていたといわれます。江戸時代に焼失後、再建されず、現在は基壇のみ残されています。
徒歩約12分(東大寺南大門まで)
6 東大寺/夫・聖武天皇への想い
夫である聖武天皇が大仏の完成を見ず亡くなると、遺品を東大寺に収めました。それは今、正倉院宝物として大切に保管されています。また、聖武天皇の遺志を継ぐかたちで大仏開眼供養を行ったのが娘である孝謙天皇です。もしも家族思いの光明皇后がいなかったら…、正倉院宝物や大仏は今ごろ…、かもしれません。東大寺にも光明皇后の心が残されています。
徒歩約15分(東大寺南大門から)
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