【9月15日「敬老の日」(※9月第3月曜)】
高齢者を敬愛し、長寿を祝う日。9月15日に固定されてきましたが、2003年から9月第3月曜になっています。現在の趣旨でいう「敬老の日」は、戦後間もない1947年9月15日、兵庫県多可郡野間谷村(現・多可町八千代)で開催された「敬老会」が発祥とされます。その後、国民の祝日に関する法律の改正により「敬老の日」が制定されたのは、1966年のことです。
一説に、聖徳太子が四天王寺に悲田院(仏教思想に基づき、貧しい人や孤児を救済するために設けられた施設)を建てた日が、西暦593年9月15日であったとして、これを敬老の日の由緒とする説もあります。
【9月18日「“奈良の鹿”天然記念物指定」】
奈良といえば? 鹿! それほど、奈良と鹿は広く浸透しています。
奈良と鹿の関係は、奈良市の世界遺産・春日大社の御祭神4柱のうち、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が白鹿に乗ってきたという伝承が始まりでしょう。これにちなみ、奈良市に生息する野生の鹿(ホンシュウジカ)は古来、神格化され、万葉集の歌に詠まれたり、正倉院に鹿をモチーフにした宝物が納められたりしています。
しかし、人にケガをさせる、農作物を荒らすなど、住民とのトラブルも多く、江戸時代初期には神鹿としての保護から動物愛護へと保護の理念が転換されました。人への害を防ぐための角きりは340年以上続く伝統行事となっています(2020年は角きり行事中止)。
「自然環境における特有の動物又は動物群聚」として、国の天然記念物に指定されたのは、1957年9月18日のこと。現在では、観光客らが鹿せんべいをあげたり、写真を撮ったりするなど、奈良の観光に欠かせないマスコットキャラクターになっています。
【9月24日「天誅組壊滅の日」】
幕末、孝明天皇の大和行幸を控えた1863年8月17日、尊皇攘夷を掲げて決起した中山忠光、吉村寅太郎、藤本鉄石ら39名からなる「天誅組」が幕府直轄の五条代官所を襲撃し、武装蜂起。幕府から追討される身となった天誅組は吉野山中へ逃げ、各所で討伐軍と戦闘に。しかし劣勢は覆せず、9月24日、東吉野村の鷲家口での戦いで、総裁のひとり吉村寅太郎らが討ち死にし、天誅組は壊滅しました。志士たちの遺体は、村人によって埋葬されたといいます。東吉野村にある天誅組菩提寺の宝泉寺の境内に記念碑が建立されています。
東吉野村では天誅組の足跡をたどることができます。
【9月25日「藤ノ木古墳記念日」】
1985年のこの日、斑鳩町の藤ノ木古墳の石室などが発掘されました。同古墳は出土した土師器や須恵器から古墳時代後期(6世紀後半)に築造された、直径約48m、高さ約9mの円墳だとみられています。
この年の第1次発掘調査では横穴式石室が見つかり、金銅製の馬具類や武具類などが見つかりました。1988年の第2次調査では、棺内に水がたまっていることがわかり、同年の第3次調査では2体の人骨や大刀、装身具、1万点以上のガラス玉などが出土。石棺内から見つかった金銅鞍金具などは国宝指定されており、また、1991年11月16日には古墳全体が国の史跡に指定されました。
【9月28日「にわとりの日」】
鶏肉・鶏卵を料理して、いただいているということは、鶏の命をいただいているということ。その鶏に感謝しようという目的で、養鶏業者が『「2」に、「8」わ、とり』として、2月8日を「にわとりの日」と制定したのが始まり。毎月28日も、鶏肉・鶏卵の消費推奨のために「にわとりの日」となっています。
奈良の地鶏といえば、大和肉鶏。奈良特産品ブランドに認定されており、奈良市内を中心に大和肉鶏の料理を看板にした飲食店も少なくありません。なお、鶏の鳴き声の英語表記「cock-a-doodle-doo」から「ク」=9として、9月28日に「にわとりの日」を紹介しました。
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