- 奈良事典
きょうは何の日「6月②:考古学出発の日/日本最初の元号「大化」制定日/本能寺の変(明智光秀と郡山城)/壬申の乱/十津川温泉源泉かけ流し宣言の日」
【6月18日「考古学出発の日」】
考古学というと、興味津々な奈良県民は多いかもしれません。なにせ奈良県は古墳や遺跡の宝庫。あの「邪馬台国」も奈良県にあった――という説があるくらいです。
しかし、日本の「考古学出発」の地は、奈良県ではありません。
1877(明治10)年6月18日、アメリカの動物学者、エドワード・シルベスター・モース博士が来日しました。横浜から東京新橋へ移動中だったモース博士は、大森貝塚(品川区・大田区)を発見。発掘調査が行われ、縄文時代後期~末期の貝塚であることが明らかになりました。
開国後間もない当時の日本には「考古学」という学問の概念・領域はなく、モース博士の大森貝塚発掘調査が科学的に行われた日本初の発掘調査とされました。
このことにちなむ「考古学出発の日」は、モース博士が貝塚を発見した日ではなく、また、発掘調査に着手した日でもなく、なぜか、来日した日に指定されています。
ところで、奈良県では今も考古学的発見があり、主要な発見があった発掘現場ではたびたび現地説明会などが開かれています。
未知の歴史が多く眠っている奈良県で、この先、日本の歴史を確かなものにする特大級の発掘があるかもしれないと思うと、ワクワクしてきます。
【6月19日「日本最初の元号『大化』制定日」】
2019年5月1日、元号が「令和」に変わりました。
その1374年前の皇極天皇4年(西暦645年)、蘇我氏の専横に対し、中臣鎌足(藤原鎌足)と中大兄皇子(皇極天皇の子、後の天智天皇)らが蘇我入鹿を殺害(乙巳の変)。さらに入鹿の父・蝦夷、従兄弟・古人大兄皇子らも死に追いやり、蘇我氏宗家が途絶えることになりました。
このクーデターをきっかけに国政改革が行われ(大化の改新)、その一環として日本で初めての元号となる「大化」が制定されました。
グローバル化が進んだ現代では、西暦の方がわかりやすいと感じる人も多くいますが、1300年以上も時代時代に定められてきた元号も大切にしたい日本の文化です。
【6月21日「本能寺の変」(明智光秀と郡山城)】
1582年6月21日(天正10年6月2日)、明智光秀が織田信長を自害に追い込んだ謀反事件。天下統一を目前にしていた信長が倒れ、仇(かたき)にと光秀を討ったとされる豊臣秀吉の天下統一への端緒を開いた意味で、日本の歴史を大きく動かした“クーデター”といえるでしょう。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で描かれる明智光秀にも、奈良との接点がありました。
本能寺の変の2年前、松永久秀を破って宿願の大和統一を果たした筒井順慶が信長に郡山城を与えられました。
このとき、郡山城の工事を信長の命令で見回りに来たのが光秀でした。奈良には一陣の風が吹くような短期間の訪問でしたが、この工事では多くの大石が運び込まれ、天守閣が急造されたことなどもわかっています。
光秀も築城工事を見守った郡山城には、修復・復興された石垣などが残っています。
天守台に設けられた展望施設からは、光秀や順慶、さらには本能寺の変後の1585年に入った豊臣秀長(秀吉の弟)らが眺めた大和の風景を一望に楽しむことができます。
【6月24日「壬申の乱」】
現在の奈良県、滋賀県、三重県などを舞台に繰り広げられた古代日本最大級の戦乱が、壬申の乱です。
時は、672年。大会の改新を成し遂げた天智天皇(中大兄皇子)は、当時の慣習では後継の天皇(大王)に弟の大海人皇子が就くところ、息子である大友皇子にと考えていました。大海人皇子は兄の気持ちを量り、滋賀・大津京から奈良・吉野に移りますが、天智天皇の死後、実質的に朝廷の実権を握った大友皇子は、大海人皇子を疎んじ、攻撃を図ります。
これを察知した大海人皇子は、6月24日、吉野宮(宮滝遺跡)で挙兵。伊賀・美濃方面へ抜け出し、伊賀・尾張・美濃の豪族らを味方に兵を整え、朝廷に戦いを挑みました。
滋賀や奈良を中心に、各地で大海人皇子軍と朝廷軍が戦闘。7月22日の瀬田唐橋の決戦で大海人皇子軍が優勢に立ち、大友皇子は自害に追い込まれ、戦乱は終結しました。大海人皇子は673年2月、奈良の飛鳥浄御原宮で「天武天皇」として即位しました。
天武天皇は仏教・文化政策にも注力し、『日本書紀』『古事記』の編纂の詔勅を出したのも、鵜野讃良(うののさらら)皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して薬師寺建立を発願したのも、天武天皇でした。
【6月28日「十津川温泉源泉かけ流し宣言の日」】
「源泉かけ流し温泉」とは、こんこんと湧き出でる温泉を、循環させず、沸かさず、塩素消毒せず、また、水などで薄めていない温泉のこと。いわば「ほんまもんの温泉」だといえるでしょう。もちろん、「宣言をしていない=温泉ではない」ではありません。
奈良県の南部に面積が日本一広い村があります。十津川村です。
2004年6月28日、十津川村は全国で初めて「源泉かけ流し宣言」を行いました。
「十津川温泉郷」には、湯泉地(とうせんじ)温泉、十津川温泉、上湯(かみゆ)温泉があり、それぞれにあるすべての温泉施設で源泉かけ流しが宣言されています。豊富な湯量が可能にする新鮮な温泉なのです。
温泉は古来、入浴すると緊張をゆるめ、病や痛みを和らげるなど、人々を癒してきました。現代では温泉につかること自体がレジャー化し、多くの人に楽しまれています。
十津川村をはじめ、奈良県の名湯を巡るのも、奈良旅の醍醐味です。
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