筒井順慶から柳澤家へ
郡山城が歴史の表舞台に登場するのは、天正8年(1580年)。織田信長の後ろ盾で大和国を治めた筒井順慶が入城しました。その後、豊臣秀吉の弟・秀長の居城となり、大和・紀伊・和泉を治めました。
関ヶ原の戦い後、江戸時代になると、郡山城は幕府の管理下に置かれ、徳川氏に近い有力者が次々と城主となりました。享保9年(1724年)、譜代大名のひとり、柳澤吉保の子息吉里が甲府から郡山城に転封。吉里は「郡山城を堅固にすれば(御所がある)京都は安泰する。大和国を支える重要な城でもある」と述べたとされ、治世の要衝としての役割を認識していたようです。吉里以来、6代140年あまり、柳澤家が郡山城を守りました。
大和郡山市で盛んな金魚の養殖は吉里の趣味が高じて広まり、産業化されたといわれています。
眺望抜群の天守台を修復
明治維新を機に郡山城は廃城となりました。荒廃が進みましたが、軍施設が置かれず、また民間に払い下げされる際にも細分化されることはなく、三の丸を除いて江戸時代の城郭の名残をほぼとどめています。
天守閣は現存しませんが、今も残る天守台の石垣には五輪塔などの墓石、平城京で用いられた礎石、石仏(逆さ地蔵=石垣の石材に転用された逆立ち状態のお地蔵様)などを確認することができます。
この天守台は平成25年末からリニューアル工事が進められており、平成28年度末に展望施設を備えた修復後の天守台がお披露目されます。
本丸、毘沙門曲輪が奈良県の史跡に指定されているほか、追手門、追手東隅櫓、追手向櫓、追手門(梅林門)などが復元されており、見ごたえのある城跡公園となっています。
また法印曲輪と呼ばれる一帯には、明治時代に奈良公園にあった、入母屋造の主棟と切妻造の翼部からなる旧県立図書館が移築されています。
桜が似合う城郭と盛時をしのぶ城下町
現在の郡山城跡は財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会が維持・管理にあたり、柳沢文庫では貴重な史料や史誌などを収集・保存・展示しています。
復元遺構を間近に見学できると同時に、花の名所としても知られ、2月の盆梅展に始まり、桜、ツツジ、新緑、紅葉が四季を順に彩ります。
とりわけ桜は有名で(日本さくら名所100選)、毎年4月1日前後に開催される「お城まつり」(平成29年は3月26日~4月9日)は多くの花見客や市民でにぎわいます。
城跡の見学・散策のほか、往時の面影を残した城下町歩きも旅情をかき立ててくれます。
〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町
0743-52-2020(大和郡山市観光協会)
駐車場あり
近鉄郡山駅から徒歩約7分
JR郡山駅から徒歩約15分