日本には古来たいせつにされてきた文化がたくさんあります。「色」もそのひとつ。人々は一日、あるいは一年(四季)のうちに緩やかに変容する色、すなわち自然界の色素を見て、色名を付け、歌に詠み、衣服を染めて、色の記憶をつむいできました。そうしたことは、文字に残る記録上、万葉の時代に始まったとされます。1300年前と今とでは見る景色はまるで違いますが、花びらや樹皮、葉や根、鉱物などから染め出した色は、古代の人々も現代の私たちも“同じ色”を見ているのではないでしょうか。そんな「日本の伝統色」から奈良ゆかりの色を紹介します。
奈良を代表する果物であり、色であり、季語である「柿」。五條市では柿の絶景が見られます!
立秋を過ぎても、世は夏真っ盛りですが、季節はちゃんと進んでいて、奈良ではハウスで栽培した柿「ハウス柿」が出回り始めます。
秋、奈良五條吉野の山々は柿色に染まります。山並みに沿って鮮やかな色が波打ち、所によっては全山が柿色に包まれます。
「柿色」は熟した柿の実の色を指します。
赤に黄味が滲み込んだような色で、江戸時代に柿右衛門がたどり着いたそれは唯一無二の究極です。
一方、柿渋染で表される色は茶系色。歌舞伎界で使われる「柿色」も茶系色で、代々の市川團十郎が好んだことから、「団十郎茶」と呼ばれています。
奈良と柿の歴史は古く、奈良時代の柿はすべて渋柿でしたが、人々は熟柿や干し柿にして、果実の甘さを楽しんでいました。
室町時代には紅葉した柿の葉に恋歌を書き、水に浮かべる風流な恋のやりとりがあったそうです。
日本屈指の柿生産地である五條市西吉野エリアで柿栽培が始まったのは大正時代。樹園地が盛んにつくられ始めたのは1960年代で、道路沿いの直売所で富有柿を買った際、生産農家が「元々は柑橘をやろうとしたそうですが、山の形状や日当たりが柿に適していたようです」と教えてくれました。
艶っぽくありながら、つつましく、淑やかな風格をまとう柿色。染まった葉はツマや葉器として料亭で使われることも。季節が移り替わる紅葉期、五條吉野には柿色の絢爛が広がっています。